すぐ終わる夜

0時過ぎに寝たのに2時前には起きてしまった。

そのまま二度寝したらいいのに色んな刺激が脳みそにあって思考してしまったせいで二度寝の波が去っていってしまった。

起きたきっかけは、なんだか人の気配を感じたからなんやけど結局それっきりなにもおかしなことは起きなかった。いつも当たらない風が体に当たってる気がしたりしたけど多分思い込みやと思う。

 

もし僕が「ヌード」って言うテーマで写真を撮るならどうしようってのも考えていたことの一つ。そもそも僕にとっては「ヌードを撮ること」自体が結構な高いハードルで、まず「撮らせてくれるひと」を探した。その時点でもう終わってるんやけど。多分ほんまに撮ることになるならセルフで撮るんじゃないかなぁ。

 

今年は本当に梅雨が梅雨らしくて、ほんでとても長い。祇園祭の出店がいっぱいある宵山とか宵々山とか呼び方はよくわからんけど、そういうのが終わると同時に梅雨は明けるって昔どっかのじいさんが言うとった気がするけど今年は全然終わらへんな。

 

梅雨に対しての「明ける」って表現。昔の人らにとって梅雨ってやっぱ結構なアレやったんかな。洪水やらの水害とかも今より起きやすいやろし、農作物やらの被害も今より生活への打撃もやばかったやろしな。そら明けるぐらいポジった動詞使うか。

 

梅雨が「明けた」り、雨が「上がった」り っていう少し特殊な動詞の表現が好きです。花が「枯れる」表現なんかは花によって変わったりでむっちゃいい。

 

桜は「散る」 梅は「こぼれる」 椿は「落ちる」 

朝顔は「しぼむ」菊は「舞う」 牡丹は「崩れる」 

 

すごいよなぁ。英語も花によって違うんやろか。あんまり知らんから授業で生徒にはこういう話して日本語のほうがくそむずいんやから英語ぐらい頑張れって話をよくする。一人称も日本はめっちゃあるけど英語は「I」ぐらいしかないやろー言うて。だから「ボクっ子」も英語やとどうすんねやろなーって話をしてる。先生やから調べて教えてやらんとあかんのやけどな。

 

今夜の曲

ナイトクルージング/フィッシュマンズ


night cruising - fishmans

 

トマト

自分はどうしようもなく生き方が下手なんやと思う。

自分が何をしたいのか それがなかなかわからへんくて、それの原因とかはおそらく他の人とは違うガキの頃の家庭環境とかにあると思うんやけど、なんっちゅうか原因がわかってもどうにもならんことの方が人生には多いんちゃうかなぁと思うようになった。

そういう考え方と言うか「しゃあない」って思うことがめっちゃ下手やったんよな。まぁ事実としてだいたいのことは「しゃあなくないから」しゃあないんやと思うけど。

やけどまぁそれやと自分に期待しすぎやし他人にも期待しすぎやねん。

やから僕はたくさんひとを傷つけて、たくさん傷ついた。ただなんか全部一人相撲って感じやってんけど。

したいことしかせえへんとこーって思って9ヶ月ぐらいになるんやけど、こんなにも自分の周りの環境が変わらへんまま時間が過ぎることに不安を感じてた。やけどまぁよく知る友達の「そんなもんやで」の一言に「そんなもんか」と思って不安はどっかに飛んでいった。

劣等性と攻撃性は比例してることとか、怒ることは貧乏人の最後の娯楽であることとか。そういう言葉が過去の自分を思い返させる。どえらいしんどい性格してたんやなぁと思う。他人さんにも自分さんにも。

写真のこと。難しいことばっか考えて、勝手に見えへんものにぶつかったりしてた。パントマイムは僕には見えてなくて他人には見えるけど、それの逆。僕にだけ見えてる壁。なんでもええ、好きなものだけでええ。そういうのも極端で、好きなものだけ!とか決めるとしんどいねん。嫌いなものだけ!はもっとしんどいけど。なんにも決めんとこうと思うし思った。先に決めれば決めるほど嘘になる気がするんよな。他人さんが関わることなら先に決めたりせなあかんことはあるけど、対自分のことは別に決めんでいいやーと。別に決めてもええけど。

最近暇さえあれば旅猿をみてます。

海行きたくなるなー。海がめっちゃ近い宿に泊まって朝ごはん食べる前から泳ぎたい。はよから泳いで「まだ10時半!?」ってのがやりたいなー。まぁこの気持ちもすぐ無くなるやろから別に旅行とかは決めへんねんけど。

一人称すら統一されてないグッチャグチャな文章やけどこれが僕の脳みそに比較的近い気がする。社会とかそういうのは止めてって言っても僕をしばるんやから僕ぐらいはなるべく自分をしばらずに生きていこうとおもいます。またいつか更新します。すぐするかも

ケーキに景気は関係ない。

クリスマスです。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。僕はひたすらに仕事仕事の日々です。同級生の友人どもは記念すべき30歳のクリスマスを家族や恋人と過ごしているようで、独身仲間がどんどん居なくなっていく中、僕はゲームの中の女の子と恋人になりました。農場を経営するゲームなのですが、ひたすら毎日自作のオレンジジュースをプレゼントしていたら付き合うことになりました。付き合ったときに「お互いの呼び方どうしようか?」みたいなことを聞かれてなんだか照れてしまって悲しかったです。ダーリン呼びなどがある中で「今まで通りで」と僕は答えました。脂ぎったおっさんが作ったプログラムに少し照れてしまったりしたクリスマスでした。

 

現実の方では1ヶ月ほど前に、ある女性とクリスマスを一緒に過ごすことになったのですが、数日後に結局仕事が入ったので断りました。先日その女性との共通の友人である僕と共通の趣味を持つ友人から僕が欲しかったものを格安で譲ってもらったのですが、友人曰く「その女性に格安で譲ってもらった。そういえばラッピングがクリスマス仕様やった」とのこと。諸行は無常というか、なんだかとてもアレな気持ちになりました。

 

以前と変わったことは休みや空き時間の使い方です。

以前は「嫌ではない誘い」なら受けてたり「してもいいこと」ならしてたんですけど、今は「したいこと」をしたり「会いたい人」だけと会っています。

出来ているように見えて出来てなかったんですよね。人生において取捨選択ってものはすごく大切で、その上で残したものを強く愛せるようになる。そんな風に感じます。

 

お知らせなのですが、1月19.20日に京都のライト商会さんのグループ展に参加します。「ai」と言うテーマです。捉え方は人それぞれです。僕は表現などを考えて撮ることがやはり苦手で、撮りたいと思ったものにシャッターを切ったものの方が愛せることが多いです。

写真には「展示に出すべきではない」写真とか色々あると思うんですけど、僕そう言うのあんまりわかんないんですよね。だから僕は大好きな写真を出します。テーマには沿ってるので大丈夫です。また他のSNSでも告知しますね。お待ちしております。

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最後になりましたが、今年はありがとうございました。皆様よいお年を!

 

 

師走が来ていた。

月が一年最後の月に変わり一週間が過ぎようとしています。

しばらく休みなく働いていたせいか風邪をひいてしまって月火と仕事を休んでしまいました。

休み明けで体調崩して仕事休むってあかんことランキング上位やと思います。ほんまダサい。

 

胃腸風邪やったみたいで大変でした。39℃はやっぱりしんどい。扁桃腺が大きいので普通の人よりは高熱慣れしているはずなんですけど。

木曜日には仕事もして夜勤のアルバイトもして、少し寝て撮影の打ち合わせをして仕事をして今から夜勤です。ほんで明日は朝から写真教室の補講です。冬季講習ももうすぐ始まるので体調管理だけはしっかりしようと思います。

 

寂しさの話

当初のとんでもない寂しさは時間が経つごとに少しずつマシになってきています。大人しくなったそれを手繰り寄せて丁寧に解いていくと見えてきたものがありました。同居人であった彼女は僕が何か寂しいことや辛いこと、嬉しいことやムカつくこと。何かあった時にいつも支えてくれる人でした。ただ今回は彼女が寂しさになってしまった。帰ってしまっただけじゃなくて、寂しいことを伝えられる人がいなくなってしまったことで同時に二人のひとを失ったような感覚になっていたのかなーと今になって思います。

ただ僕にとって共有が大事なのは間違い無いので、その辺はしっかりと自覚していこうと思います。

だれかの一等賞になりたいことと、あの子の一等賞になりたいことは似ているようで全然違う。僕にとっては同じようで、あの子にとっては全然違う。

悔しがるのも悲しむのも格というもの必要で、僕は三十路になってそれを改めて痛感した。

僕は僕のために僕と戦おう。

昼寝して見た夢のこととか。

30歳になって10日ほど過ぎた。

その間に同居人は地元へ帰った。

二人が一人になることはすごく寂しい。

三人が二人になるのとかとは違う。

7ヶ月二人で暮らしたからなぁ。

忙しさがなんとかしてくれてはいるものの、昨日彼女が帰った翌日ぐらいに出したフィルムが返ってきてエモさのゲージが振り切れました。

若い女の子のようなことを言いますが、僕は一人になったのに、彼女は家族の元に帰ったから一緒にいる人が変わっただけってのが少しズルく感じてしまう。

この寂しさを共感できる人がいてくれたら少しは楽になれたんだろうなぁと思う。

以前から何度も言っているように僕には共感や共有がとても大事っぽい。

 

はじめて食べたもののこと

街中で見かけた変な人のこと

行きたいお店が休みやったこと

見た夢のはなし

自転車がパンクしたこと

生徒が志望校に受かったこと

届いたネガが素敵やったこと

 

やっぱり誰かに話したいよ僕は。

この文章を書きながらなんだか涙が出てきて、7ヶ月間ぼくは幸せやったんやなと改めて実感した。ぼくは弱くなったと思っていた。でも違う。最初から弱かったんや。この先ずっとは一人で生きていけないと思う。

この人の側におりたい と思ってもらえる人間になろうと思う。やったことないことやけど、この先に見えるものはきっとあると思う。三十路のおっさんが書く文では無いのは百も承知やけど、みんなが若い頃にやることをサボってきたから仕方ない。

ぼくは赤ちゃんじゃない。

色々頑張ろう。

 

 

解放するということ。

30歳になった。

 

20代最後の日となる昨日は友人らと吉岡里帆の写真集を見るなどしていた。

ほんで今日は特に予定があったわけじゃないけど、仕事を前もって休んでいた。

神戸に行き20日までの写真展を見に行って、友人のカレー屋へ行き、最近購入したカメラでブラブラしながら海を撮ろう。と昨日ぐらいに決めた。

PENTAX67というカメラでとてもでかくて重い。「バケモノみたいなペンタックス」というアレで通称「バケペン」と呼ばれている。ただ、僕が持つと35ミリの普通のカメラに見えると言われる。僕も「バケニン」なのかもしれん。

まぁそんなバケモノをカバンに入れて、フィルムを撮りきりたいカメラをもう一つ入れて自転車で約3km離れた駅へ行く。地下鉄やバスで行くと往復500円近くかかる。僕の懐にそんな余裕はない。あかんとはわかっているけど駅前のパチンコ屋の駐輪場に自転車を止める。自動空気入れ機もあって助かる場所。自転車にもだいぶガタが来ていて自転車屋の店員さんに修理するなら新品買ったほうが安いレベルって言われたので乗れなくなったら新品を買うつもりである。でも年末年始は物入りなのでとりあえずは年内ぐらいは持ちこたえてほしい。

最寄りのJRの駅に着き、金券ショップで元町までのきっぷを買う。すぐに乗るので昼得のやつ。920円だった。通常価格は1320円なので400円安い。少しの手間で400円安い。金券ショップは偉大だ。ホームに着くと姫路行きの新快速が10分弱遅延していた。ただ、その遅延のおかげで本来間に合っていなかった電車に乗れそうなので結果オーライと思っていたら放送が聞こえる。

「京都・大阪方面へお向かいのお客様は次に来る普通にお乗りください。新快速の再開の目処は現在立っておりません」

最悪だった。

なんかもう全てのやる気をなくして家に帰った。

ただで転ぶのが嫌で必要なものの買い物などをして帰ったが、家に着いてからもモヤモヤしたものは晴れなかった。

 

認めたくないが僕はおそらく誕生日というものになにか期待をしていたんだと思う。実際に僕は他人の誕生日を特別に思うし、なにかしたいと思う。誕生日以外でも結婚記念日や、目標を達成した日。記念日ってものはいくらあってもいいとおもう。そんな風に思っているので自分自身の生誕30年の記念日になにか特別なことがしたかったんだなぁと落ち着いて冷静になってから気が付いた。ただ、それは他人になにかやってもらうにしても僕から頼むのはなんか違ったりするので博打的要素が強い。彼女がいたりしたらその辺はなんとかなったりするが、如何せん僕はひとりもの。そこはなかなか期待ができない。そして今日は平日の月曜日だ。状況がよくない。そして毎年曜日がずれていくことを考えると僕の誕生日が次に休日とかぶるのは5年後である。35歳のおっさんが友人に誕生日を祝われているのを僕は見たことがない。まぁもうその辺は置いておくにしても、変に期待してしまうぐらいなら絶望を自分から迎えに行くほうが建設的ってのが僕のスタイルなので来年以降は変に調子に乗って休みを取らないことにする。

 

こういうことがあると「素直に寂しいと言いなさい」と言うてくれるひともおるのですが、僕は恐らく常に寂しいです。少しでもそれを言葉にして伝えると、いつ「寂しい」のダムが決壊するかわからなくなるので僕はそんなことようしません。僕の場合、別にひとりでいることが「寂しい」に直結しているわけでもなくて、肯定者や理解者がいないことに対して「寂しい」を感じるように思う。「ひとり」と「独り」の違いなのかなとも思う。その「寂しい」をなんとかしてくれようとしてきたひとは過去に何人かいて、そのなんとかしてくれようとした人の数が過去の恋人の数だったりする。ただ、心の奥底には僕ですらも認識してないような根深いものがドロドロしていて大事なひとすらも傷つけてしまう。子供の頃「口に出来なかった・してはいけなかった」感情を静かに心の奥底に沈めていた。それが現在ヘドロのようになって影響を与え続けているのだろう。僕の常に持つ「寂しい」はある種の呪縛なんだと思う。ただ僕にとって一番ラクなのは以前言っていたように「両手がないのにバスケをしようとすること」ではなくて「両手がないことを受けいれて自分でも出来ることを探すこと」なんだと思う。

 

ブログを書くたびになんだかネガティブと言うか病んでいる文章を書いている様に思う人もいると思いますが、僕は本当に病んでいません。こういうのが僕にはすごく大切なんです。他人を信じていない訳でもないし、死にたいわけでもありません。多分真面目すぎるんです。ほんで頭が硬すぎる。「なんかあっても最悪死ねばいいや」って思って家にロープを置いておくことで人生がラクになる人種もいるというだけなんです。

 

30歳。僕は解き放たれたと思っています。他人などどうでもいいわ。意見に従って失敗したところで責任をとってくれるわけでもないし。好きなことを好きなタイミングでやって生きていく。一般的な「普通」と一般的な「変」は大体わかった。みんなが持っているものを持っていない代わりに僕にはみんなが持っていないヘドロがある。

共有

美味しいものを食べた時、綺麗なものを見た時、ええ感じのお店を見つけた時

僕は誰かと共有したくなる。

僕にとってその「誰か」は何より大切な人で、そういう人がいない時期は色んなことの喜びが半減するように思う。

それは別に恋人じゃなくてもよかったりするからややこしい。

 

十代から二十代になった瞬間、僕はひとりだった。

あの頃は大学に通いながらアルバイトを掛け持ちして生活費を稼いでいた。

月に250時間労働とかしてたな(笑)

僕は来週に二十代から三十代になる。

塾と写真とアルバイトをしている。

仕事が増えてるとは全く想像していなかった(笑)

ただ、今はひとりじゃない。

あの頃もひとりじゃかったのかもしれんけど、僕は孤独を感じていたんよな。

僕は写真に出会えてよかった。

23歳の春。仕事も辞めて全てを捨てて一ヶ月後に死ぬつもりだった。残していってしまう妹に僕が見ていた世界を残そうと思って、ボロボロのコンデジを使って写真を撮りだした。

一ヶ月後、写真が楽しくなって「もうちょい生きてみるか」となった。

持たざる者以外の何者でもなかった僕は数年後「先生」と呼ばれるようになった。

 

気づけば30になる。生きてるつもりなんてさらさらなくて、自分の中で「やらな」って決めていたことも大体達成した。残りの人生は「やりたい」って思うことをやっていこうと思っている。

それでどうしようもなくなったら死ねばいい。

元々7年前に捨てた命である。

 

最後になりましたが誕生日なのでほしいものリスト貼っときますね。

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いきなり死ぬほど俗で最高でしょ。