解放するということ。

30歳になった。

 

20代最後の日となる昨日は友人らと吉岡里帆の写真集を見るなどしていた。

ほんで今日は特に予定があったわけじゃないけど、仕事を前もって休んでいた。

神戸に行き20日までの写真展を見に行って、友人のカレー屋へ行き、最近購入したカメラでブラブラしながら海を撮ろう。と昨日ぐらいに決めた。

PENTAX67というカメラでとてもでかくて重い。「バケモノみたいなペンタックス」というアレで通称「バケペン」と呼ばれている。ただ、僕が持つと35ミリの普通のカメラに見えると言われる。僕も「バケニン」なのかもしれん。

まぁそんなバケモノをカバンに入れて、フィルムを撮りきりたいカメラをもう一つ入れて自転車で約3km離れた駅へ行く。地下鉄やバスで行くと往復500円近くかかる。僕の懐にそんな余裕はない。あかんとはわかっているけど駅前のパチンコ屋の駐輪場に自転車を止める。自動空気入れ機もあって助かる場所。自転車にもだいぶガタが来ていて自転車屋の店員さんに修理するなら新品買ったほうが安いレベルって言われたので乗れなくなったら新品を買うつもりである。でも年末年始は物入りなのでとりあえずは年内ぐらいは持ちこたえてほしい。

最寄りのJRの駅に着き、金券ショップで元町までのきっぷを買う。すぐに乗るので昼得のやつ。920円だった。通常価格は1320円なので400円安い。少しの手間で400円安い。金券ショップは偉大だ。ホームに着くと姫路行きの新快速が10分弱遅延していた。ただ、その遅延のおかげで本来間に合っていなかった電車に乗れそうなので結果オーライと思っていたら放送が聞こえる。

「京都・大阪方面へお向かいのお客様は次に来る普通にお乗りください。新快速の再開の目処は現在立っておりません」

最悪だった。

なんかもう全てのやる気をなくして家に帰った。

ただで転ぶのが嫌で必要なものの買い物などをして帰ったが、家に着いてからもモヤモヤしたものは晴れなかった。

 

認めたくないが僕はおそらく誕生日というものになにか期待をしていたんだと思う。実際に僕は他人の誕生日を特別に思うし、なにかしたいと思う。誕生日以外でも結婚記念日や、目標を達成した日。記念日ってものはいくらあってもいいとおもう。そんな風に思っているので自分自身の生誕30年の記念日になにか特別なことがしたかったんだなぁと落ち着いて冷静になってから気が付いた。ただ、それは他人になにかやってもらうにしても僕から頼むのはなんか違ったりするので博打的要素が強い。彼女がいたりしたらその辺はなんとかなったりするが、如何せん僕はひとりもの。そこはなかなか期待ができない。そして今日は平日の月曜日だ。状況がよくない。そして毎年曜日がずれていくことを考えると僕の誕生日が次に休日とかぶるのは5年後である。35歳のおっさんが友人に誕生日を祝われているのを僕は見たことがない。まぁもうその辺は置いておくにしても、変に期待してしまうぐらいなら絶望を自分から迎えに行くほうが建設的ってのが僕のスタイルなので来年以降は変に調子に乗って休みを取らないことにする。

 

こういうことがあると「素直に寂しいと言いなさい」と言うてくれるひともおるのですが、僕は恐らく常に寂しいです。少しでもそれを言葉にして伝えると、いつ「寂しい」のダムが決壊するかわからなくなるので僕はそんなことようしません。僕の場合、別にひとりでいることが「寂しい」に直結しているわけでもなくて、肯定者や理解者がいないことに対して「寂しい」を感じるように思う。「ひとり」と「独り」の違いなのかなとも思う。その「寂しい」をなんとかしてくれようとしてきたひとは過去に何人かいて、そのなんとかしてくれようとした人の数が過去の恋人の数だったりする。ただ、心の奥底には僕ですらも認識してないような根深いものがドロドロしていて大事なひとすらも傷つけてしまう。子供の頃「口に出来なかった・してはいけなかった」感情を静かに心の奥底に沈めていた。それが現在ヘドロのようになって影響を与え続けているのだろう。僕の常に持つ「寂しい」はある種の呪縛なんだと思う。ただ僕にとって一番ラクなのは以前言っていたように「両手がないのにバスケをしようとすること」ではなくて「両手がないことを受けいれて自分でも出来ることを探すこと」なんだと思う。

 

ブログを書くたびになんだかネガティブと言うか病んでいる文章を書いている様に思う人もいると思いますが、僕は本当に病んでいません。こういうのが僕にはすごく大切なんです。他人を信じていない訳でもないし、死にたいわけでもありません。多分真面目すぎるんです。ほんで頭が硬すぎる。「なんかあっても最悪死ねばいいや」って思って家にロープを置いておくことで人生がラクになる人種もいるというだけなんです。

 

30歳。僕は解き放たれたと思っています。他人などどうでもいいわ。意見に従って失敗したところで責任をとってくれるわけでもないし。好きなことを好きなタイミングでやって生きていく。一般的な「普通」と一般的な「変」は大体わかった。みんなが持っているものを持っていない代わりに僕にはみんなが持っていないヘドロがある。